第6回 こんなダンス界に誰がした!?
観客のいない芝居小屋
WDC・JNCPD・JBDF・JDC・JCF・JPDSC・IDSF・JDSF・IOC・JOC・・・・・
何の略語かわかりますか?
そうです、昨今のダンス界を語る上で必要な組織名ばかりですね。
自分がプロになったとき、たかがダンスをやるために、教師協会・日本競技ダンス連盟・全ダ連・選手会・技術団体・支局等・・・
なんでこれほど多くの組織に登録しなければならないのか、疑問に持ったことを思い出します。
約16年前、日本のダンス界は分裂し、何の解決も無にまま今日に至っていますが、現在、世界のダンス界も分裂の危機に直面しています。
一部の人物による利権争いに終始しているのは一目瞭然、しかもすべてのダンス人がその闘争に巻き込まれている状況は、腹立たしく、情けなくもあります。
また最近、「BDJ」という新組織が発足し、危ういバランスの中でなんとか保たれてきたJNCPDの分裂さえ、囁かれています。
日本のプロ組織が一枚岩となり、JDSFとも協調し合い、世界のダンス界に物申すことのできるような日本のダンス界再編に向けて努力することが最優先課題ではないでしょうか。
特にJBDFの歴史は発足当時、大変排他的な組織でしたが、JNCPDという協調路線に移り、今度は、JNCPDを無視する戦略に出たと言っても過言ではないでしょう。
私もJBDFの会員の一人ですが、主人公争いをしている間に観客がよそに行ってしまわないよう、魅力あるダンス界づくりに微力ながらも貢献していきたいと考えています。
藤本明彦
(2008年11月16日更新)
藤本 明彦
リーダーの藤本は、大学のダンス部に入部後、桝岡栄子先生に師事。
学生チャンピオン、アマチュアチャンピオンを経てプロに転向、Aクラス昇級後、英国留学を重ね全日本グランドファイナリストとして活躍。
2001年のスーパージャパンカップを最後に競技選手を引退。
1961年生まれの天秤座のO型で、現代の日本人が忘れかけている「気合・根性・忍耐」の精神が大切であると常々思っている。
大の温泉好きで、これからは秘湯めぐりをしようかと密かに企んでいる。
佐藤 直美
パートナーの佐藤は栃木県出身で、実家がダンス教室でありながらダンス嫌いで、ミュージシャン志望だった。
しかし、亡き母の熱心な薦めで、東京は四ツ谷の「石原ダンスクラブ」にその頃在籍し次期チャンピオンと言われていた桑原明男先生に師事。
プロの踊りの奥深さとかっこ良さに触発され自分もプロになることを決意し上京。(まんまと母の思惑通りになる…)
直美という名前はダンサーネームで本名は玲子。プロになる時オーナーが「皆に好かれ、ダンサーとして大成するように」とつけてくれた。
その後タップダンスやジャズダンスなどでダンサーとしての体を作りながら地道に昇級し、Bクラス戦を前後期優勝しAクラスに昇級。
やはり英国留学を重ね全関東選手権、アレックス・ムーアカップでファイナル入り、スーパージャパンカップでセミファイナル入りと着々と実績を上げ2001年に競技選手を引退。
都内にダンススタジオをオープンするも、同じ頃藤本と公私共にカップルを組む事になり、平成16年4月に神奈川県横浜市に「藤本ソシアルダンススタジオYOKOHAMA」を新規オープン。
多くのダンスファンに親しまれ、今日に至っている。
現在は、経営指導の傍ら、JBDF東部総局公認審査員、デモンストレーターとして多忙な日々を送っている。そして、「なんば」をキーワードにダンス理論を解明することがライフワークのひとつとなっている。