第44回 ダンスをデザインする
明けまして おめでとうございます
(謹賀新年)
日本人の人生観が大きく変わった日でもある3.11。行き残った私達は、復興支援に全力を上げると共に、悔いのない人生を送るべく、日々をより大切に暮らしていこうと改めて考え始めたのではないかと思います。
ダンス界においては、競技会、ダンスパーティー等、各イベントが中止になったり延期になったりもしました。ダンスどころではないということで、立ち行かなくなってしまった教室もあると聞きます。衣食住が不安定では、無理もない話だと思います。
古来より人々は歌や踊りで神に祈りを奉げ、喜怒哀楽を表現してきました。魂を解放することで心の安らぎを求めていたのです。私達ダンス人はこの原点に還り、ダンスの役目、効用というものを再認識する時期に来ていると思います。
ダンスのテクニックは表現のための道具であって目的ではなく、さらに相手の(パートナーであったり、観客であったり)魂を揺さぶることで、そこに感動が生まれます。上手な踊りよりも、只々真剣に一生懸命踊っている姿の方が感動が深いこともあります。
テクニックとアートの語源はどちらもギリシャ語の「テクネ」という言葉から来ているそうです。ダンスはスポーツか芸術かという論議がありますが、どちらかではないんですね。また、テクニックとアートを合わせてデザインするという言葉ができたそうです。
“ダンスをデザインする”今年はこの言葉をキーワードにダンスに取り組んでいきたいと思っています。
(2012年1月5日更新)
藤本 明彦
リーダーの藤本は、大学のダンス部に入部後、桝岡栄子先生に師事。
学生チャンピオン、アマチュアチャンピオンを経てプロに転向、Aクラス昇級後、英国留学を重ね全日本グランドファイナリストとして活躍。
2001年のスーパージャパンカップを最後に競技選手を引退。
1961年生まれの天秤座のO型で、現代の日本人が忘れかけている「気合・根性・忍耐」の精神が大切であると常々思っている。
大の温泉好きで、これからは秘湯めぐりをしようかと密かに企んでいる。
佐藤 直美
パートナーの佐藤は栃木県出身で、実家がダンス教室でありながらダンス嫌いで、ミュージシャン志望だった。
しかし、亡き母の熱心な薦めで、東京は四ツ谷の「石原ダンスクラブ」にその頃在籍し次期チャンピオンと言われていた桑原明男先生に師事。
プロの踊りの奥深さとかっこ良さに触発され自分もプロになることを決意し上京。(まんまと母の思惑通りになる…)
直美という名前はダンサーネームで本名は玲子。プロになる時オーナーが「皆に好かれ、ダンサーとして大成するように」とつけてくれた。
その後タップダンスやジャズダンスなどでダンサーとしての体を作りながら地道に昇級し、Bクラス戦を前後期優勝しAクラスに昇級。
やはり英国留学を重ね全関東選手権、アレックス・ムーアカップでファイナル入り、スーパージャパンカップでセミファイナル入りと着々と実績を上げ2001年に競技選手を引退。
都内にダンススタジオをオープンするも、同じ頃藤本と公私共にカップルを組む事になり、平成16年4月に神奈川県横浜市に「藤本ソシアルダンススタジオYOKOHAMA」を新規オープン。
多くのダンスファンに親しまれ、今日に至っている。
現在は、経営指導の傍ら、JBDF東部総局公認審査員、デモンストレーターとして多忙な日々を送っている。そして、「なんば」をキーワードにダンス理論を解明することがライフワークのひとつとなっている。