第46回 歴史と伝統のある日本インターが・・・
今年の日本インターナショナルダンス選手権大会はNHKの放送が中止になったという報告がありました。ここ10年間、プロの組織が分裂したままで、JBDFだけが、日本を代表するダンス組織ではないということが中止の理由であったようです。
また、公共の立場を重視するNHKとしては、JDSFとの関係も問題の一つとして捉えているようです。
JBDFは平成4年、当時の文部省の認可のもとに発足しました。日本を代表する唯一の法人組織としてスタートしましたが、現在では他の多くの団体も法人として活動しています。会員数は日本最大ではありますが、今回の件は20年を経た今、「財団法人」といういわゆる“葵の御紋”は通用しなくなってしまったという証しではないかと思います。
組織が分裂したままのマイナス面はこれまでも多くありましたが、メディアへの露出が少ないダンス界にとっては、NHKの放送中止はあまりにも大きな打撃に違いありません。
JBDFがどれほど大きな組織であろうと外からは「日本のダンス界」という視点で捉えられてしまいます。とても残念なことです。我々はこれほど頑張っているのに“ナゼ”という疑問が湧いてきますが、日本のダンス界を何とかしようという努力を怠ってきたツケがいよいよ回ってきたようです。
ダンス界全体の損失をこれ以上広げないように、真剣にダンス界の統一について考える時期に来ているのでしょう。
また、この議論をすること自体がタブー視されていることも問題だと思いますが、皆さんいかがお考えでしょうか?
(2012年3月1日更新)
藤本 明彦
リーダーの藤本は、大学のダンス部に入部後、桝岡栄子先生に師事。
学生チャンピオン、アマチュアチャンピオンを経てプロに転向、Aクラス昇級後、英国留学を重ね全日本グランドファイナリストとして活躍。
2001年のスーパージャパンカップを最後に競技選手を引退。
1961年生まれの天秤座のO型で、現代の日本人が忘れかけている「気合・根性・忍耐」の精神が大切であると常々思っている。
大の温泉好きで、これからは秘湯めぐりをしようかと密かに企んでいる。
佐藤 直美
パートナーの佐藤は栃木県出身で、実家がダンス教室でありながらダンス嫌いで、ミュージシャン志望だった。
しかし、亡き母の熱心な薦めで、東京は四ツ谷の「石原ダンスクラブ」にその頃在籍し次期チャンピオンと言われていた桑原明男先生に師事。
プロの踊りの奥深さとかっこ良さに触発され自分もプロになることを決意し上京。(まんまと母の思惑通りになる…)
直美という名前はダンサーネームで本名は玲子。プロになる時オーナーが「皆に好かれ、ダンサーとして大成するように」とつけてくれた。
その後タップダンスやジャズダンスなどでダンサーとしての体を作りながら地道に昇級し、Bクラス戦を前後期優勝しAクラスに昇級。
やはり英国留学を重ね全関東選手権、アレックス・ムーアカップでファイナル入り、スーパージャパンカップでセミファイナル入りと着々と実績を上げ2001年に競技選手を引退。
都内にダンススタジオをオープンするも、同じ頃藤本と公私共にカップルを組む事になり、平成16年4月に神奈川県横浜市に「藤本ソシアルダンススタジオYOKOHAMA」を新規オープン。
多くのダンスファンに親しまれ、今日に至っている。
現在は、経営指導の傍ら、JBDF東部総局公認審査員、デモンストレーターとして多忙な日々を送っている。そして、「なんば」をキーワードにダンス理論を解明することがライフワークのひとつとなっている。