第52回 身体性拡張
車を買い換えたとき、初めは操作に慣れるまで近場でゆっくりと運転しますが、慣れてくると次第にスピードを出したくなったり、遠出したくなったりしますよね。この「慣れ」というのは、脳科学的には、運転者の身体がその乗り物のサイズまで拡大していることらしいのです。
ジャンボジェット機の機長もタンカーの船長もそのサイズまで身体が大きくなっている、こういうことを身体性拡張といって、この感覚がすぐれていなければ乗り物の操縦はできません。
そもそも私たちが道具を使うことは、その道具が自分の身体の一部となってはじめて使いこなせるのであって、箸でも包丁でも、外科医のロボットアームでも、そう考えると使い方がうまいとは、この感覚を磨くために何回も練習するということです。
スポーツにおける身体性拡張は、ラケットやクラブ、バットなど、そのスポーツに必要な道具をいかに自分の身体の一部として取り込めるかにかかっていると言うことができましょう。
では、ダンスはどうでしょう?ラケットやクラブを使わない代わりに、互いにパートナーという道具を我がものにしなければなりません。
ある世界のトップダンサーは、女性はフェラーリで、男性はフェラーリの運転手だと例えたそうです。男性はフェラーリを乗りこなし、女性は運転に正確に反応する、この関係はひと昔前のリード&フォローの考え方だけでは不十分であることを表しています。
この身体性拡張は空間にも及ぶと自分は考えます。フロアを踊りながら移動することは、そのフロアのサイズを把握していなければなりません。自分の身体意識がフロアの隅々まで及んで初めて、他のカップルを避けながら踊るというフロアクラフトの技術が磨かれるのではないでしょうか。
場馴れという言葉があるように、環境が変化してもすぐ対応できるようにすることであり、競技会場が変わっても練習場と同じ様に踊るには、いろいろな会場で踊って身体性拡張を磨くということなのだと思います。そして、その選手の拡張が、観客や審査員の心まで到達するとき、カリスマとかオーラと呼ぶのではないでしょうか。
今、日本は領土問題で揺れています。一国の総理、大統領、元首には、自国の領土を自分の身体の一部として常に意識してもらいたいものです。すぐれた身体性拡張を備えた人物に一国の統治を任せたいと考えるのは少し飛躍しすぎかもしれませんが、皆さんはどう思いますか?
(2012年8月30日更新)