第13回 不完全性の美
先日、シルク・ドゥ・ソレイユを観に行きました。ご存知の方も多いと思いますが、動物を一切登場させず、人間の身体のみで様々なパフォーマンスを演じる、カナダ生まれのスーパーサーカス団のことです。出演者には元オリンピック候補選手もいるとかで、ストーリー性を持たせた演出と相まって、従来のサーカスを超えたそれは素晴らしい演技でした。一歩間違えれば落下してしまう命がけの彼らの動きを見ていると、フロアーの上で、やれバランスが悪いのどうのこうのなどということを議論している我々ダンサーが、大変幼稚に思えてしまいました。シルク・ドゥ・ソレイユを観たら、皆さん是非命がけでナチュラルターンを踊ってみてください(笑)。
ところで、バランスで思い出すのは、昨年受講した東京大学公開講座のことです。タイトルはズバリ『バランス』。心のバランスから、社会のバランス、自然科学のバランス、、、様々なテーマで語られるバランスの奥深さに大変感心したと共に、教授陣の層の厚さはさすが東大と思わせるものがありました。 二つの皿という天秤の語源にもなったバランスとは、いったい何なのか、今回の講義を聞いてバランスに対する自分の考えが更に深まりました。
バランスとアンバランスを繰り返す動的バランス(運動時における一般的なバランス)に対し、美学的バランス(表現力等)を考える上で参考になるのは、岡倉天心の『茶の本』に、「あるものをあえて未完成にしておくことで、想像力にそれを完成させようとする限りでは、数寄屋でもある」という記述の部分があります。 数寄屋とは非対称的な家という意味を含んでいて、アンバランスな構造をあえて採用することで、ダイナミズムまでも表現しようと試みたものだそうです。また「数寄」とは「偶数(安定・完全)に対する奇数(不安定・不完全)」をも意味し、「何故人間は奇数を賞し破形を恋うのであろうか。人間は自由の美を求めて止まないからである。それ故にこそ不完全さを要請するのである。茶美とは不完全美である」とも言っています。
ダンスの競技会を見ていて、また審査していて思うのは、勝つ選手が必ずしもバランスがとれているとは限らないことです。なんであんな選手が勝ち残るのかということがよくありますが、動的バランスも美学的バランスも整った選手が何か物足りなく見えてしまうのは、アンバランスの美学が不足していると言うことができるのではないでしょうか?不完全性から完全性へ移行しようと必死で踊っている姿こそが、美しくもあり、感動させるような気がするのです。
ベテランの安定したバランスのとれた踊りより、若くて未熟で、アンバランスな踊りの方が魅力があり、将来性があると評価されるのはおそらくこのような理由からではないかと思います。
そう言えば、オペラ座の怪人をイメージした、某車のキャッチコピーにこんなのがありました。
“あなたの魂で私は完成する“
ところで、私フジモトは天秤座の生まれです。不器用ながらもバランスとアンバランスのバランスをとりながら、これからもダンス人生を生きて行こうと考えております。
藤本明彦
(2009年5月16日更新)