第69回 拮抗
いろいろな相手と踊れるのがダンスの楽しさの一つですね。
身長差も様々で、たいていの場合、男性のほうが女性より背が高いわけです。そんなとき、女性はどういうふうに男性の高さに合わせるかと言えば、腕を高くすることだけです。どれ程相手が高かろうと、肩を上げたり、脚を伸ばしたりして合わせるのではありません。自分のポイズをしっかりとキープしたまま組むことが一番大切です。
自分のもっとも踊りやすいバランスというのが誰しもあるはずです。
そこは決して崩さない。
特に、肩と腰の関係は重要です。左右の肩の位置と左右の骨盤の位置は体幹でしっかりと繋がっていなければなりません。
骨盤の上には両肩、両肩の下には骨盤です。
女性は大きく左サイドにシェイプをするので、この体幹を崩さずにからだの内側を使ってシェイプをする。
するとからだの中に体幹を崩さないようにしようとする力とシェイプしようとする力が拮抗します。
その拮抗した感覚が動きのエネルギー源にもなるのです。
拮抗とは、ほぼ同等のエネルギーが、互いに張り合って優劣のないことを意味します。
バランスをとるとは、この拮抗したからだの使い方を覚えることです。
背骨を伸ばす力とフロアーをしっかりプレスする力も拮抗、組むことも、相手にコンタクトしながら、実は離れようとするカウンターバランスの力を働かせています。遠心力と求心力のつり合いも同様です。
様々な拮抗した要素を内包した身体は、たとえそこに立っているだけでもエネルギーに満ち、今にも動き出そうとスタンバイの状態になっているはずです。
トップダンサーの隙の無い存在感とは、こういうことではないでしょうか。
姿勢やスタイル、シルエットといった表現ではなく、ポスチャーやポイズというダンス用語を使うのは、バランスした身体という意味を含んでいるのです。
(2014年2月3日更新)
藤本 明彦
リーダーの藤本は、大学のダンス部に入部後、桝岡栄子先生に師事。
学生チャンピオン、アマチュアチャンピオンを経てプロに転向、Aクラス昇級後、英国留学を重ね全日本グランドファイナリストとして活躍。
2001年のスーパージャパンカップを最後に競技選手を引退。
1961年生まれの天秤座のO型で、現代の日本人が忘れかけている「気合・根性・忍耐」の精神が大切であると常々思っている。
大の温泉好きで、これからは秘湯めぐりをしようかと密かに企んでいる。
佐藤 直美
パートナーの佐藤は栃木県出身で、実家がダンス教室でありながらダンス嫌いで、ミュージシャン志望だった。
しかし、亡き母の熱心な薦めで、東京は四ツ谷の「石原ダンスクラブ」にその頃在籍し次期チャンピオンと言われていた桑原明男先生に師事。
プロの踊りの奥深さとかっこ良さに触発され自分もプロになることを決意し上京。(まんまと母の思惑通りになる…)
直美という名前はダンサーネームで本名は玲子。プロになる時オーナーが「皆に好かれ、ダンサーとして大成するように」とつけてくれた。
その後タップダンスやジャズダンスなどでダンサーとしての体を作りながら地道に昇級し、Bクラス戦を前後期優勝しAクラスに昇級。
やはり英国留学を重ね全関東選手権、アレックス・ムーアカップでファイナル入り、スーパージャパンカップでセミファイナル入りと着々と実績を上げ2001年に競技選手を引退。
都内にダンススタジオをオープンするも、同じ頃藤本と公私共にカップルを組む事になり、平成16年4月に神奈川県横浜市に「藤本ソシアルダンススタジオYOKOHAMA」を新規オープン。
多くのダンスファンに親しまれ、今日に至っている。
現在は、経営指導の傍ら、JBDF東部総局公認審査員、デモンストレーターとして多忙な日々を送っている。そして、「なんば」をキーワードにダンス理論を解明することがライフワークのひとつとなっている。