第70回 見られても見せびらかさず
ソチオリンピックが閉会しました。日本選手も10代の若手アスリートが多数活躍して大いに夢と希望を私たちに与えてくれました。
しかし、国の期待を背負って頑張る彼らのプレッシャーがどれ程のものなのか、私たちにはわかりません。
中でも金メダル候補と言われたフィギュアスケートの羽生君と真央ちゃんは明暗がはっきりと分かれてしまいました。
フィギュアスケートはとてもメンタルな要素が演技を左右すると言われています。
トップアスリートなら当然メンタルトレーニングを受けているでしょう。年齢以上に彼らが大人びて見えるのも、心がしっかりとしているからに違いありません。
羽生君の普段の幼い(失礼)顔つきから一転して勝負師の顔つきになるスイッチの切り変わりが自分は好きです。
真央ちゃんもショートプログラムのときとは違った顔つきでフリーのトリプルアクセルを成功させていました。ショートで散々失敗した翌日に気持ちを立て直して完璧なフリーを演じたのは彼女の心の軸が定まったからでしょう。感動に値するものでした。
審判から見られている、観客が見ている、しっかり表現しなければならない・・・等々、自己と他者の関係が競技会場には溢れています。
自分に集中することと表現することとは、一見、相反するように思われますが、自分は同じことだと思います。
表現とは、自分以外のものに何かを見せることです。
ダンスで言えば、観客や審査員に自分の踊りを見せることに他ならない。言い換えれば、自分のエネルギーを外に向かってアピールする、放出するという解釈になろうかと思います。
しかし、“見てちょうだい、私って凄いんだから。こんなことも出来るのよ!”みたいなダンサーを本物の表現者だと思いますか?
まわりが望んでいるのは、自分に集中して踊っているダンサーなのです。
集中している佇まい、一所懸命、全力で踊っている姿が見ている者に感動を与えるものだと思います。
従って、自分の内面に向かって働きかけているエネルギーが、外から見て輝いて見えるのであって、外へ外へとエネルギーを出そうとすればするほど、自分自身は、ただの抜け殻になってしまうということに気付く必要があります。
太陽は内部での核分裂のエネルギーが放出されて、輝いているんですよね。
トップアスリート達がインタビューで「楽しんでやりたい」というコメントを言うのをよく耳にしますが、最高のパフォーマンスを目指すには、リラックスして自分に集中する必要があることを知っているからです。
国を代表して税金を使ってるクセに“楽しむ”とは何ごとだ!と言う人がいたら、彼らの気持ちが本当に分かっていないと思います。
最後に、ボビー・アービン先生の「女性のための10箇条」の一部を紹介します。
「見られても聞かれず」
「見られても感じず」
「感じられても聞かず」
「見られてもみせびらかさず」
・・・感謝。
(2014年2月28日更新)