第72回 乱世はいつ終わるのか
織田につくか、毛利につくか、今、大河ドラマでは天下統一に向かって戦乱の時代の真っ只中です。
これと同様なことが、ダンス界でも起きています。
JBDFはWDCに軸足を置きながらJDSFとの話し合いを進めています。一方、世界ではWDCとWDSFという2大組織が覇権争いをめぐって対立しています。
日本国内はJBDF・JDC・JCFの3団体が共同で立ち上げたJNCPDというカウンシルを通してWDCに加盟しています。WDCは歴史と伝統のあるプロの世界的組織です。
WDSFはオリンピック参加を目標にしたアマチュアを中心とした世界組織で、日本のアマチュア団体のJDSFが加盟しています。
JBDF内にはBDJという組織がJDSFとのパイプ役となり、日本国内のダンス組織再編を検討しています。
そんな中、先日、WDCが、突然JNCPDの加盟を取り下げました。理由は、WDCのルールをJBDFが遵守しないため、一度解散させ、NDC for JAPANという新しく立ち上げるカウンシルに、審査の上、改めて加盟を認めるということのようです。
WDCのルールを遵守しないとはどういうことかと言えば、WDCとWDSFに二股をかけているJBDFにどちらに味方するのか態度を明確にせよという最後通告のことなのです。
我々ダンス人は、日本国内のダンス市場の奪い合いをしている間に、組織を守ることが目的になり、ダンスを普及させる努力を怠ってきたと思います。傍目から見てもその権力争いは醜いものであり、ダンスそのものの美しいイメージがどれほどダウンしてしまったでしょうか?
各ダンス教室は経営が大変苦しくなっています。組織の垣根を越えてダンス市場をどのように活性化すればよいかという議論が沸き起こることを切望します。私も微力ながら役に立てるよう努めてまいります。
(2014年5月1日更新)
藤本 明彦
リーダーの藤本は、大学のダンス部に入部後、桝岡栄子先生に師事。
学生チャンピオン、アマチュアチャンピオンを経てプロに転向、Aクラス昇級後、英国留学を重ね全日本グランドファイナリストとして活躍。
2001年のスーパージャパンカップを最後に競技選手を引退。
1961年生まれの天秤座のO型で、現代の日本人が忘れかけている「気合・根性・忍耐」の精神が大切であると常々思っている。
大の温泉好きで、これからは秘湯めぐりをしようかと密かに企んでいる。
佐藤 直美
パートナーの佐藤は栃木県出身で、実家がダンス教室でありながらダンス嫌いで、ミュージシャン志望だった。
しかし、亡き母の熱心な薦めで、東京は四ツ谷の「石原ダンスクラブ」にその頃在籍し次期チャンピオンと言われていた桑原明男先生に師事。
プロの踊りの奥深さとかっこ良さに触発され自分もプロになることを決意し上京。(まんまと母の思惑通りになる…)
直美という名前はダンサーネームで本名は玲子。プロになる時オーナーが「皆に好かれ、ダンサーとして大成するように」とつけてくれた。
その後タップダンスやジャズダンスなどでダンサーとしての体を作りながら地道に昇級し、Bクラス戦を前後期優勝しAクラスに昇級。
やはり英国留学を重ね全関東選手権、アレックス・ムーアカップでファイナル入り、スーパージャパンカップでセミファイナル入りと着々と実績を上げ2001年に競技選手を引退。
都内にダンススタジオをオープンするも、同じ頃藤本と公私共にカップルを組む事になり、平成16年4月に神奈川県横浜市に「藤本ソシアルダンススタジオYOKOHAMA」を新規オープン。
多くのダンスファンに親しまれ、今日に至っている。
現在は、経営指導の傍ら、JBDF東部総局公認審査員、デモンストレーターとして多忙な日々を送っている。そして、「なんば」をキーワードにダンス理論を解明することがライフワークのひとつとなっている。