第1回 ♪踊るアホウに見るアホウ・・・♪
なかなか上手く踊れない。
自分の思うように踊れない、いや、自分の思うように相手が動いてくれないと言ったほうが正しいかも知れない。
そりゃそうです。相手はボールやラケットのような道具ではない。敢えて言うなら自分と同じくらいの体重を持ち、しかもジッとしていない人間が道具なのだから。
でも、その道具を上手く使いこなせれば、ひとりではできない運動が可能になる、そこにカップルダンスとしての妙味があるような気がするのです。つまり1+1>2という数式が可能になるということです。
踊るアホウに見るアホウ、なぜ人は踊るのか。
自分とパートナーと音楽の三位一体。勝ち負けだけではない、一緒に踊る歓びを見つけるために、ホンモノのダンスと出逢うために、毎月自分の勝手気ままな考えをエッセイ風に語っていきたいと思っています。
また、たかがダンスをするために、あの団体がどうの、この組織が何だのという昨今のダンス業界のあり方についても遠慮なく批判していきたいと考えています。そして皆さんからの意見・感想もいただき、ダンスを取り巻く環境を少しでも良くしていきたいと思っています。どうぞご期待ください。
藤本明彦
(2008年6月16日更新)
藤本 明彦
リーダーの藤本は、大学のダンス部に入部後、桝岡栄子先生に師事。
学生チャンピオン、アマチュアチャンピオンを経てプロに転向、Aクラス昇級後、英国留学を重ね全日本グランドファイナリストとして活躍。
2001年のスーパージャパンカップを最後に競技選手を引退。
1961年生まれの天秤座のO型で、現代の日本人が忘れかけている「気合・根性・忍耐」の精神が大切であると常々思っている。
大の温泉好きで、これからは秘湯めぐりをしようかと密かに企んでいる。
佐藤 直美
パートナーの佐藤は栃木県出身で、実家がダンス教室でありながらダンス嫌いで、ミュージシャン志望だった。
しかし、亡き母の熱心な薦めで、東京は四ツ谷の「石原ダンスクラブ」にその頃在籍し次期チャンピオンと言われていた桑原明男先生に師事。
プロの踊りの奥深さとかっこ良さに触発され自分もプロになることを決意し上京。(まんまと母の思惑通りになる…)
直美という名前はダンサーネームで本名は玲子。プロになる時オーナーが「皆に好かれ、ダンサーとして大成するように」とつけてくれた。
その後タップダンスやジャズダンスなどでダンサーとしての体を作りながら地道に昇級し、Bクラス戦を前後期優勝しAクラスに昇級。
やはり英国留学を重ね全関東選手権、アレックス・ムーアカップでファイナル入り、スーパージャパンカップでセミファイナル入りと着々と実績を上げ2001年に競技選手を引退。
都内にダンススタジオをオープンするも、同じ頃藤本と公私共にカップルを組む事になり、平成16年4月に神奈川県横浜市に「藤本ソシアルダンススタジオYOKOHAMA」を新規オープン。
多くのダンスファンに親しまれ、今日に至っている。
現在は、経営指導の傍ら、JBDF東部総局公認審査員、デモンストレーターとして多忙な日々を送っている。そして、「なんば」をキーワードにダンス理論を解明することがライフワークのひとつとなっている。